治療って?治すって?を考えます
子供の頃に書いた漫画、その当時は旨いと思ってたが今見ると、
子供の書いた漫画ですね。
体治しを、治療を考える?
体を車に例えてみると
1000キロの新車と10万キロの中古で考えてみて欲しいのです。
1000も10万も事故したら部品代えて修理します。
当然走ります。でも10万は一時の復活です。いくら修理しても「新車の1000」には成りません、絶対に。
1000は元気に復活します。かたや10万は一時故障が治っても右がよくなったら左が悪くなるし。次は上が下がとなると思うのです。全体のボデーは10万です。
そう思えば今右が良くなったら嬉しく思えるのではと思います。
そう考えないと「左が上が下が」と嘆いてしまうと思うのです。
右が良くなったのを10万が1000になったと思ってしまうと「左が上が下が」と
10万キロと言うのはそういうものではないでしょうか?
例えエンジンを修理でなく交換しても全体は10万なのを自覚した方がエンジン交換で良い調子は少し長続きすると思うのですが、どうでしょうか。
私、治療師として自分を考えます??
求められれば、「先ずは、して見ます」の意味は「見てみます」と考えてます。
「治療します」は治すと言ってるように思えます。
だから「しますイコールの治す」とは言いません。先ず「見てみないと」解りませんし返事できません?
「見ますイコールします」の治すではないです、私の場合はね。
それにいっときの回復の走行距離も互いに自覚したいです。
いくら頑張っても10万は1000になりません。
言える事は「見てみます」「一生懸命してみます」ついでに言わないけれど「治れば幸せやけど。治すとは約束できませんよ。」一生懸命するのが自分の力量やと思ってます。
治すと言う力量はないです。5秒で3秒で治す力量はないです。
治る時は有ります。それは治す力量ではないです。一生懸命する気持ちの力量です。
凡人の私はそんなものです。
簡単に短期間に10万キロの車は1000キロの車になりません。
でも気持ちではそれなりの時間を頂ければ10万なりに快適にユックリ走る車に「したい?なって欲しい」と思うのですが
10万になれば病気が完治してなくても「痛みなく。不都合なく」で嬉しく思える気持ちになれる治療出来たら嬉しいです。ついでに完治もあれば大きなグリコのオマケです。
心と体にやさしい整体『赤ひげ』
大阪府松原市近鉄南大阪線「河内天美」から徒歩10分
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2014年2月18日 | コメントは受け付けていません。 |
カテゴリー:赤ひげ治療日記