祈りは気持ち。未熟者の特権か?
患者様にはしない?けど身内にはしてもイイでしょう?
今、母は長く命に係わる病で。今回、老衰に近づいた。
食事できなく、水も飲めない、寝たきりになった。
アア~時期が来たかなと
毎日養老院に施術しに行った。老衰では必要以上の治療入らないと思う。
痩せて梅干しのようにシワが行き。話せない。
息子としては神様に祈る「寿命を延ばしてとは言いません。命ある今を少しでも楽に過ごせますように」と慣れない言葉で祈った。
二日目?少しふっくらと血色も良くなった。重湯と水を飲んだ。
施設では医者と言えども職員と言えども細かい対応の気配りは無理かも??
「食事できないので白米のご飯は結構ですから、重湯を作って下さい」と。
重湯を飲んだ、水飲んだ。顔色良くなった。歩いた。
日々改善した。
これ民間治療の技術でも精神世界の理屈でも宗教でもない。親子の気持ちの祈りの「お願い」だと思うのです。だって自分でもびっくりしてます。
二日でこんな改善するなんて。
技術ですれば、技術の範囲内になるし。神様に祈れば「話せるし神の力を頂く」なんて想い上がりになるし。
全て自分の力量を手放す時は「アア神様、お願いします」なんて言葉足らずですが気持ち一杯の祈りになるのではと今回思った。
誰に教わるものでなく。仕事にするものでなく。仕事で利益が来るなら祈りの気持ちではないように思うのです。
一重に未熟なるが故に「祈りしか」なかったのです
大阪府松原市近鉄南大阪線「河内天美」から徒歩10分
心と体にやさしい整体『赤ひげ』
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2015年5月22日 | コメントは受け付けていません。 |
カテゴリー:赤ひげ治療日記