もしかしたら「治療に」理論はないのかもしれない?その人、その人では
目に見えない治療は習うモノではないのではと最近思う。
最初に始めた人もその人の身に付いたモノだし
形はその人が出発のその人独自のモノで。効果もその人独自とと思う。
今、一人の人に遠隔している。言えない重度の病気は達人のように週一回では僕の場合は対応できないのが本音。
毎日の朝と夜中にしている。他は全て打ち切っていってしている。
治すなどと言えない重度で私にとって新たな遠隔です。
だから理論はないし教える事も出来ない。治療ってその人、その状況で自分に合ったモノが自分の縁で身に付くものだと思うのです。
聞かれても困るし。返事が出来ない?
何でコウなって改善しますとは明確な物はないと思う。
自己治療はしません。精一杯肺の病をする時、亡くなった家内が来ている気分がする。家内も同じ病でした。
そして自分にも有りがたい力を頂くような気もする「宗教ではないですよ」理論がないものは関わる力も理論が無いと思う。理論が有れば医学でも成しえない改善は成立しないです。
思えば自分の重度の糖尿は病院3軒に断られた病は今薬一切飲まずに一年通してヘモグロビン6.5に成ってるし。
体重も減らず筋肉は40代になっているのも説明できない医者も薬飲めとは今は言わない腕触らしてと言う。
医者も不思議と思っているのだろう。
梗塞も14回した、ウチ脳幹梗塞は2回。
一回も手術なしで看護師に退院する時。「来た時は死ぬとこやったんですよ」ああそれで集中治療室に入ったのかと。
14回もしたらお任せの人生に成ってしまう。
だから末期の肺の治療してる。民間治療の世界ではしないし対応できないが。
理論が無いから、親戚だから。商売でないから出来るのだろうと思う。自身に大きな得を頂いています。
心と体にやさしい整体『赤ひげ』
詳しくは当院のホームページをご覧ください → https://shizen-akahige.com/
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2018年1月8日 | コメントは受け付けていません。 |
カテゴリー:赤ひげ治療日記