気の質の違い???
方々言います。私は宗教の治療はしていません。
しかし、目に見えない。押さない、触れない治療をしますので。人は「気功だとか、挙句には宗教だ」と独り歩きします。
ですから、説明もしません、人が思うのはその人ですから。
しかし自分でも思えるのです。こんな所から宗教は出て来たのかなと。「私は太陽とか富士山に手を合わせたりはしませんよ。(笑)」
ただ手はよく合わせます。何処にかは内緒です、言いません(笑)
今また太気拳の立禅に興味が出て来ています。
知識はないです。昔、昔、空手の一人練習の時に「多分。立禅とかハイ?「字が出て来ない」意味もなく。我流でしていました。
今動画を見ますと「気」の言葉が出て来ます。私は気が出るなどと意識なしでしていましたが。立禅の我流で気が出る下地みたいなものが有ったのかなと。
私は確かに気は出ています?でも気が出て。気功では病気治しは出来ないと思っています。武道の気は癒しの気とは質が違います。気功の気も病気治しの気とは違うと思っています、私の偏見かもしれませんが。
最初は気功で治ると始めたのですが。自分が病気になった時に関係者との違和感で「これは違うと勝手に思いました」
それからは試行錯誤の連続です。
やはり家内の病気治しが発端で、故障でなく、病気治しが発端ですから人の言うように宗教?の発端かも「そんな事を書いている本はないですが(笑)」
でも自分が納得していればそれでイイと思ってます、自分の事ですから。
そこで今、立禅は武道の気とは少し違うと勝手に解釈しています。
治療の気とも違うし。何でしょうか?
それを説明するには「太気拳の本を読んで見ようかなと」もう本は持っていませんから何処で探してみようかと。
病気治しの太気拳の本は無いでしょうし。居合でもないです。
居合より立禅の気は外に出すだけでなく。旨く言えないけど自分に向かっていながら、外にも良い係わりが有るように勝手に今は想像してるところですが。
でも今は自分で試行錯誤していて面白い老後です(笑)
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2020年8月24日 | コメントは受け付けていません。 |
カテゴリー:赤ひげ治療日記